この1か月半くらいの中で、大阪の姉が亡くなり、熊本の義母がこの世を去りました。二人とも私の行動予定を見透かしていたかのように、予定されていた講演、セミナーを一つも欠かすことなく、お別れの席に私を導いてくれました。
母は11月10日の朝、亡くなったのですが、その日は私の子供の命日でもあります。人間はその偶然に縁を感じ、感慨深く理解しようとします。私はそれを母の想いとして受け止めたいと思います。
脳卒中になった義父の看病・介護に明け暮れ、そして自身も15年前に重度の脳卒中になり、都合30年近く、大変な毎日を過ごしてきました。父の介護をするにもカリエスで右膝は曲がらず、自らが転んでしまいそうな状況の中で、入浴介助もすべてひとりで行っていて大変そうでしたが、母は愛する夫の介護をできる喜びに浸っているようにさえ見えたりしたものです。
私自身、両親を小さい時に亡くしていますので、お父さん、お母さんと呼べる存在ができたことがとても嬉しかったのですが、残念ながらそれもなくなってしまいました。義母にとってこの15年間は不本意であったろうと思いますが、どんな形でも「お母さん」と呼べる人が存在していたことは、子供たちにはとても大切なことでした。そういう存在でいてくれた母に心から感謝しています。
熊本から東京、函館、札幌に出かけて、また母とのお別れに熊本に戻って、先ほど札幌から大阪に戻りました。この1か月間、ブログも途絶え、たくさんの方々にご心配とご迷惑をおかけしました。また、メッセージを書きますので、よろしくお願いいたします。
吉尾雅春ブログ
母との別れ
Mスタ
「Mスタ」って聞いたことありますか?
Masaharu standingの略語で、Masaharuは私の雅春です。
ネーミングは湯布院のスタッフの皆さんが考えたのだそうです。写真は大分の湯布院厚生年金病院の渡邊さんと太田さん、別府リハビリテーションセンターの吉村さんで、先日、病院を訪ねてきてくださいました。とても楽しくて、明るくて、ひょうきんで、そして熱くて、臨床場面もとても楽しそうな方々でした。
脳卒中の患者さんは最初の頃うまく座れないことが多いのですが、座れないとき、どのような練習をしますか? 座れないから座る練習をする、という選択は適切なようですが、私はそうは考えていません。詳しくここで述べることはできませんので、詳細はセミナーで。
要するに股関節は70度くらいしか曲がりませんから、通常の座位では骨盤は後方に20度以上倒れていることになります。それを随意的に維持することはとても難しいことなのです。長下肢装具を着けて体重を両足にかけて立つと、お尻の周りの筋肉が働きやすくなります。そして骨盤も床に垂直になりやすいので、体幹もまっすぐになるのです。
この立位をより安定させるために、机の台や高くしたベッドにお尻をちょこんと載せて立つことを「Mスタ」と呼ぶのです。Mスタ、なかなかのネーミングで、気に入りました。
学習は簡単なことから始めましょうよ。
準備万端
今秋から千里リハビリテーション病院主催のセミナーを行なっています。しばらくの間、私が講師になります。
1回目は脳のことに関するセミナーでした。第2回目の今日は股関節のみ方について、とても基礎的な内容を実技を交えながら解説しました。自分で言うのも変ですが、2回とも充実したセミナーになっていたと思っています。3回目は肩のみ方について、12月2日に行う予定です。
基礎を大切にするということは盤石な城を造ることにつながります。そういうことが大切であることを、そして根拠をもって評価治療にあたることが大切であるということを具体的にお伝えしています。私たちが患者さんたちに関わるときの基本的な姿勢が重要なのです。真剣に準備に取り組まなければ、いい結果が得られるはずもありません。
写真は今日のセミナー開始前の会場の様子ですが、準備万端、見事なまでに整然としています。机の位置も、資料も、そしてペットボトルの位置も向きも素晴らしいでしょう?
この演出は当院事務職の人たちによるものですが、ここまでの努力あるいは準備を私たちセラピストはできているでしょうか。その心は日々の臨床にも反映されるのです。
学ばなければなりません。
蘇れ、福島
9月初めの1週間に2度、福島市に行ってきました。私の仕事で、大阪から福島という地に週に2回も行くという経験は生涯の中でもあまりないだろうと思いますが、震災・原発被害で大変な年にこのような経験ができたことに何か感じるものがあります。
昨年紹介した小熊座のスターは今年も健在でした。というより、むしろもっとエネルギッシュでした。写真に見えるボールは全てのピンを倒し、福島の鬱憤を晴らすかのようでした。少しでも福島の街に貢献しようと、大勢で懇親会を開き、深夜のボーリングにも行ってきたのです。私ですか?ボーリングは参加することに意義があるのです。どこかで聞いたようなフレーズですね。
郊外の果樹園を訪ねました。桃がほぼ終わり、梨に移り、そしてりんごへ。大きな桃をたくさん買って、福島の味を、安心を発送しました。会津の米も大丈夫だと伺いました。でも、お盆には大文字で、そして先日は福島産の花火のことでとても残念なことがありました。それぞれの思いがあるのだと改めて知りました。でも、風評被害だけは無くしたいですね。なんとか蘇って欲しいし、そうなることを信じています。
福島の人たちはとてもまじめで熱い人たちです。正にリハビリテーションの精神が必要だと思っています。
加藤清正

またまた前回から1か月も経ってしまいました。書きたいことがたくさんあるのですが、ちょっと優先順位を下げて、急ぎ処理しなければならない課題を先行させています。もうしばし、というところですが。
さて、毎年8月最終の金、土、日は三重県四日市市で日本理学療法士協会主催の講習会を開いています。今年で10回になりました。他で開催しているセミナーで何度かお見かけしているお顔も複数ありましたが、北海道から鹿児島まで、全国の熱心な参加者で盛り上がりました。解剖学的な視点から構成したこの講習会のメッセージは「原点に戻れ」ということです。基礎を大切にして、科学的根拠をもって評価治療に当たること。しかし、一方で対象者の基本的人権、社会科学的な側面をしっかり包含した取り組みを心がけることなどをお伝えしています。
私の出身は肥後熊本県。江戸時代の前は隈本という地名で、現在の熊本市内は阿蘇山からの湧水で湿地だったそうです。そこを治めた加藤清正は農民から特別な年貢を上納させることなく湿地を改良し、城を造り、地名も勇壮な熊本にして今の熊本市の基礎を造りました。土木の神様のような武将です。安土城、大阪城、そして写真の名古屋城の築城を担当したのも加藤清正です。加藤清正の基礎がしっかりしていたからこそできたこれらの名城。特に石垣の素晴らしさには目を見張るものがあります。
加藤清正は参勤交代の帰りに信州松本城に立ち寄っています。城主石川家長から2頭の馬を差し出され、好きな方を1頭持って帰るように言われたとき、「石川殿のような目利きではないので、2頭ともいただいてまいります」と返した知恵者。言うなれば見事な臨床家でもあったのです。
加藤清正は県民に「清正公(せいしょこ)様」と神様のように呼ばれています。
山が動いた

またまたお久しぶりです。
2週間前に熊本機能病院総合リハビリテーションセンターのセミナーに招かれ、故郷に帰ってきました。米満理事長、山永センター長はじめ多くの方々にご出席いただき、身に余る光栄至極な1日になりました。また、諸先生方のお話を伺い、私自身、学ぶことがたくさんありました。
この数ヶ月間、セミナー参加者に問いかけてみて、山が動いていることに気づいています。2年前、95%以上が誤った答を返していた問題に対して、同じように誤って答える参加者は最近では60%くらいに減少しているのです。例の起き上がりの主たる筋に関する質問です。
それでもまだ60%が間違っているわけですから、これは大変なことではあるのですが、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という世界ではなくなったことになります。私が知る限りでは、おそらくこの話をし続けているのは私だけではないかと思うのですが、塵も積もれば山となる、のです。最初は小さな力でも、重なっていけば大きな力になり、ついには山をも動かすことになるようです。2年間の活動は無駄ではなかった、と。
私自身は解剖学的な立場から物事を考え、それに基づいたアプローチを指向しようとしています。自分自身で評価し、アプローチしていくためには、その思考過程を保障する基礎を疎かにしてはいけないと考えています。目の前にそびえる熊本城の石垣を見ながら改めてそのように思いました。
熊本と言えば阿蘇。墓参りを兼ねてちょっとドライブしてきました。私の中で好きな景色のベスト10に入る阿蘇の風景。中央に見えるのが米塚という、これでも立派な火山です。向こうに平たく見えるのが外輪山になります。世界一のカルデラに佇むと、表層的なことで右往左往している私たちの社会が滑稽に見えたりします。
こまったとき

久しぶりにブログに向かいました。
余裕がありませんでした。ちょっと忙しすぎました。
心を亡くすほどの忙しさではないのですが、24時間では足りないのです。
皆さんにご迷惑をかけて、申し訳なく思っています。
ブログに向かう余裕もなく、困ったなあ・・・、と思いつつ。
そんなときはパソコンの前でこのコマを回すのです。頭の回転を期待して。
今夜は羽田のホテルでじっくりと頭の回転を図ってみましょう。
梅雨明け
梅雨が明けました。
一気に猛暑です。真夏日の連続。
7月10日の岐阜の空は燃えるようでした。
長丁場の脳のセミナーを開いたのですが、参加された方々は梅雨明けしたでしょうか。
脳卒中の方々のリハビリテーションで脳のシステムを考慮せずに取り組むのは無謀なこと。
そのためには当然、脳のシステムを理解しておくことが大切なのです。そのことによって救われる方々がいます。
おひとりでもお二人でも、そういう方々を増やしていかなければならないのです。
リハビリテーション医療の世界が梅雨明けすることを期待しています。
オクラ

久しぶりに病院のレストランでカレーライスをいただきました。オクラを添えてありました。このちょっとした心遣いが嬉しいですね。
料理は作る人の心が映し出されると思います。どんなに忙しくても、「心を亡くす」ほどの多忙な状態というのはそんなにあるわけではありません。
ある大学病院のエレベータに乗っていてドアが開いたとき、看護師が車椅子を押しながら患者さんに怒鳴って入ってきました。「私はねえ、忙しいんだから、あなたが言うことにいちいち付き合ってられないの。言いたいことがあるんだったら知事に言ってちょうだい。」
エレベーターの中にいた人たちは一瞬、固まってしまいました。
その看護師さんはどんな料理をお作りになるのでしょう??
ところでオクラの和名はアメリカネリ。日本で特に食するようになったのは昭和50年頃からですが、鹿児島などではもっと前から食べていました。そういう地域ではネリと呼んでいたようで、陸蓮根(おかれんこん)とも言います。
オクラの原産地はアフリカ北東部。英語でokraと書きます。納豆などと同じように日本特有の食べ物だと思っている人たちも多いと思いますが、カタカナでしか書きませんよ。
Stand by

Stand by. 傍にいます、支持する、準備する、待機する、という意味の英語です。
梅雨空の花の主役は紫陽花。でも、私が梅雨空の花の主役にあげるのはクチナシです。
梅雨空にどこからともなく漂ってくるあの甘い香りが私の記憶に残っています。熊本の田舎にはクチナシの木があちこちにあって、小さいときに体験した甘い香りが今でもよみがえるのです。
今にも咲きそうに大きくなったクチナシの蕾が鮮やかな緑で私に声をかけてくれました。小さいときの心地よい体験は私を和ませてくれます。最近睡眠不足が続いて、少々不健康な生活をしていますが、大阪の住まいの庭にあるクチナシの花が正にstand by me.です。
あと数日で甘い香りを漂わせてくれそうです。
患者さんたちは思いがけない病気によって大変な毎日を送っていらっしゃいますが、ご家族がお見せになる「いつでも傍にいますよ」という眼差しを受け止められたとき、これほど嬉しいことはないのではないかと思います。私たちも応援していますよ。